教育の歴史とテクノロジーを用いたこれからの教育
背景
・従来の教育は、フォード生産方式の拡大のため、標準化をめざした教育
・フレデリック・テイラーの科学的管理の原理で述べられている
・標準化された無駄(とスキル)のない大多数の労働者を育てるための教育
・そのため、労働は常に質ではなく量を管理されてきた
課題
・自分で選択できないとモチベーション低下(自己決定論)
・Google検索できてしまう時代に、決められた暗記は意味がなく、創造性が育たない
これからの教育
・自身で課題を見つけ、ソリューションを創るという学習が必要
→内発的動機を高め、クリエイティビティが育つ。コントロール感が高まることで、モチベーションも向上する(自己決定論)
・教師は個人の研究に対するメンターとなるべき
・理想は教師と生徒が1対1だが、圧倒的な教師不足
→タブレットやVR、3Dプリンターなど、あらゆるテクノロジーを幼少から最大限使い、何かのクリエイトする経験を積む
所感
「マッキンゼー流最高の社風の作り方」という本でも、労働の量的管理については述べられているが、多くの企業でも未だに時間や生産数などのような単純に数で管理できる指標を使って社員を管理している。しかも、社員一人ひとりがそのように評価されるだけならまだしも、一人ひとりが他の社員を標準化することを促され、標準化こそが善だと教育を受ける。
フォード生産方式に代表される自動車などの大量生産には適した指標であるが、本書にもあるとおり、それは無駄とスキルのない標準化された労働者をつくる。しかも、そうした非常に管理のしやすい労働者を育成するために、教育現場が設計されており、そうした教育を受けて育った自分自身もそういう価値観が植え付けられていることを強く意識しなければならない。
確かに、自分が開発したツールや改善案を他の社員が簡単に使えるようにするための設計は重要だと思う。しかし、行動マニュアルのように、思考停止人間を生むような標準化には気をつけなければいけないと改めて感じた。
大抵のことは、googleで調べればわかる時代に、誰でもできる仕事しかできない人材に価値はどんどんなくなっていく。クリエイティビティが求められる今の時代には、従来の標準化という価値観はマッチしない部分はやはり大きくなっている。
特に、企業に勤める1社員としては、会社や上司の評価軸だけで自分の行動を評価せず、自分の軸をしっかり持って、自分にしかできない仕事を拡大していかなければいけない。
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社会人博士に関する記事を書いています。良ければそちらもご覧いただけると嬉しいです。
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