社会人博士の深層学習ブログ

深層学習を使った環境音認識研究で、働きながら博士号を取得しました

【社会人博士】入学を決めるまでの2年間〜進学を決めたきっかけ、研究室選び、入試までの準備、必要な英語力〜

私は今、社会人博士の学生として、働きながら大学院に通っていますが、そもそもなぜそんなことをしようと思ったのか、入学前の手続きや学費について書いていこうと思います。(直接関係なさそうな過去から振り返っていますが、ご了承ください)

 

 

入学2年前の4月~9月:アメリカでの海外研修で働き方の違いを知る

会社の研修で半年間アメリカに行かせてもらいました。研究所ではなかったので、アカデミックというよりは現地の工場に関する業務がほとんどでした。半年間住んでいると、仕事もさることながら、アメリカ人の暮らしが日本と全然違うことに驚きました。ほとんどの人は朝7時に出社して、夕方4時には帰宅していました。家で仕事をしている人もいるそうですが、家族での食事をとても大事にしているようでした。週末には、フォードのピックアップトラックでボートを牽引し、湖で日向ぼっこをしながら家族でお酒を飲んでいました。日本と違って会社をクビになるリスクもあるので、どっちがいい悪いということはわかりませんが、働き方っていろいろあるのかも?と思うようにはなりました。

都心部ではなかったこともあり、素晴らしいアパートに済ませてもらい、天気のいい広場でビールを飲みながらブルーインパルスを見たりと、はじめての経験でした。

  

 

10月:アメリカから帰国し、日本のピリピリした雰囲気を痛感

半年間の研修を終え、もとの職場に戻りました。アメリカに行っていたとき以上に、ギャップに驚きました。当たり前のように10時ぐらいまで働き、必死で計画に遅れないように働いていました。プレッシャーもあったので、ピリピリした雰囲気だったように記憶しています。

 

入学1年前の2月:会社の采配に振り回されていたらスキルがたまらないことに気づく

一番始めの記事で書いた、ドキッとした研修です。世の中には2種類の人がいます。

「1つは、やりきって満足して死ぬ人、もう1つは、他人の期待ばかりに気を取られて後悔して死ぬ人」

自分は確実に後者だとドキッとしました。その日をきっかけに、なりたい自分を目指して生きるべきなんじゃないだろうかと思うようになりました。

(今思えば、こういった2種類に分ける手法は、人を煽るのによく使われる手法らしく、まんまと発破かけられたのだなとは思いますが。。)

 

3月:プロジェクトの終了と自分の担当の価値なし宣言

そのとき仕事でやっていたプロジェクトが終わったのですが、当時自分が担当していたハードウェアの領域に、取り組む価値がなかったというようなことを言われました。まぁ、プロジェクトがいつもうまく行くとは限らないし、その判断自体は会社としては妥当なものかなと思いますが、誰かに言われたからと自分の運命を他人任せにしていても、すべて自分に帰ってくるのだなと実感しました。自分の人生に責任が持てるのは自分しかいないんだなと改めて思いました。

それならば、自分のやりたいことに挑戦し、帰ってくる結果も自分ごととして受け止める必要があると強く思いました。

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6月〜9月:やりたかった音響信号処理関連のプロジェクトの開始

それまで、ハードウェア関連の仕事を6年ぐらいやっていましたが、ここに来てはじめて音響に関連したプロジェクトをやらせてもらうことになりました。大学院の時は、C言語でフーリエ変換やデジタルフィルタを実装していたことはありますが、ほぼすべて忘れていたので、フーリエ変換や機械学習を0から教科書を読んで勉強するところから始めました。その後Udemyという動画講義やブログなどでpythonを使った音響信号処理、機械学習の実装を学び、自己流で雑音抑圧やら閾値判定アルゴリズムなどを組んで試行錯誤していました。そしてさらに勉強を続けていくと、論文ではもっと研究されていることを知りました。(今思えば、それまで論文を読むという選択肢すら思い浮かびませんでした。。。)

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10月〜11月:研究室の先生に初コンタクト(入学半年前)

ここでようやく研究室の先生にコンタクトを取ります。これは4月入学の半年前のことです。

論文を読みはじめてから、社内に音響に詳しい人がいないなか、自己流で勉強してもらちが明かないのでは?と感じはじめました。そこで、興味分野に近い内容の論文を出されていた先生を見つけ、論文に載っているメールアドレスからコンタクトを取ってみました。何度か打ち合わせやメールのやり取りをした後、後先考えずに、先生のところに入学させてもらえませんか!?と勢いでメールしてしまいました。
すると1週間後、教授会でOKが出ましたがどうしますか?と返信がありました。

教授会で話までつけてもらってしまっては、もう後に引けないじゃないか!と思いました。笑

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12月〜3月:願書提出〜入試、合格発表

願書は確か1月中旬締め切りだったので、12月から準備を始めました。住民票や卒業証明書、TOEICのスコアなどが必要でした。

実際の入試は2月に行いました。筆記試験はなく、面接のみでした。ここで、TOEICのスコアはそれなりにあったのですが、会社で受けたスコアなので、オフィシャルには使えませんでした。TOEICのスコアが間に合わない場合は、英語プレゼン・質疑応答でも可ということだったので、面接は英語でした。内容は、修士時代、会社時代にやってきた研究と今後の研究内容提案についてでした。面接は可もなく不可もなく終了し、直後に問題ないでしょうとのことでした。

3月に一応合格発表がありました。合格していることはわかっていましたが、一応確認。18歳の大学入試依頼の合格発表を確認し、入学金等の手続きを済ませました。

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以上が入学までの経緯です。

博士課程というのは、ずっと興味はありましたが、お金も時間もかかるし、仕事と両立しながらやっていくほどではないわ。と思っていました。

ですが、いろいろな経験を経て、自分の人生に責任を持つためには、自分で行動を起こさなければと思って、実際に入学することに決めました。

 

私の場合は、入学するための手続き自体は、入学の半年前ぐらいからで十分でした。(大学によってはもっと早くに願書を出さなければ行けないので、よく確認してください。)

まだ迷っている方の参考になれば幸いです。

 

また、進学後どうなったのかも随時書いていきますので、よかったらご覧ください。

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